1979-1989

1979年2月28日にドイツに来ました。来たというよりは日本から追い出されたという方が正しいかも知れません。その頃19歳、高校を一年で退学してしまい、いわゆる不良と呼ばれる部類に入っていてかなりグレていました。 眉毛は剃ったり、メッシュ(髪の毛の一部を脱色)を入れていました。留置場にまで行ってしまったこともあり、そこではこれから組を作るとかいう若いヤーさんにスカウト(?)されたりもしました。 それを見かねた父親が、環境を変えるのが一番と考えて、自分の弟、つまり私のオジがいるドイツにあの手この手で行かせようとしたのです。その内に父の姉であるオバまで出て来て説得され、結局オジのところに観光にやって来たのが渡独の理由です。 つまり海外に興味があった訳でもなく、勉強しようと思った訳でもなく、何か大志を抱いて来た訳でも何でもありません汗。

3ヶ月の滞在予定で来て、当時オジが経営していた梱包材のプラスチックのプチプチ工場で1ヶ月働き、ゲーテというドイツ語専門学校に1コース2ヶ月行って3ヶ月はあっという間に過ぎました。そしてオジにそれじゃあ、そろそろ帰ります...と言い出した時にオジが、何だ、俺の仕事を(本腰を入れて)手伝いもせずにもう帰るのか? と言われたのですが、どういう訳かその言葉が重くのしかかってオジの所で10年ほど働くことになりました。以前オジが日本に来た時に私に向かって、お前のような頑丈そうな若いのが来て手伝ってくれたら助かるんだがな~、と言われていたことが頭に残っていたのかも知れません。 叔父としてもそんなに早く私を日本に返してしまったら意味がないと思ったのでしょう。

その頃のオジは、プチプチ工場、日本食料品の輸入、その卸と小売、そしてレストランや鮮魚の卸まで手広くやっていたのですが、それらのいろいろな仕事をその10年の間にほとんど全て経験させてもらうことができました。配達から魚の下し(3枚下しなどの魚の処理)、売り上げの集計や販売促進の戦略立案まで何から何までやらせてもらえました。 ところが10年ほどたった頃、叔父がそろそろ引退するというのです。 当時叔父はまだ40代半ば。 えっ、こんなにいろいろとやっていてまあまあうまく行っているのになぜ? とは思ったものの、やった!ついに日本に帰れるという気持ちで一杯でした()

ドイツにしばらくいることに決めた後、叔父の薦めでしばらくゲーテに行きました。 先ずはドイツ語を覚えるという作戦です。 勉強は子供の頃から苦手なので、同じレベルのクラスをダブったりしながらそれでも1年以上も親のスネをかじりにかじって行き続けたせいと、10年間にも及ぶ長期滞在のおかげか、その当時ドイツ語はまあ何とかできたのですが、英語がまるでできませんでした。そこで日本に帰る前にイギリスに留学して英語をマスターしてから帰国しようと思いました。そこでイギリスで英語の専門学校が集まっている南の海岸線の町の一つであるボーンマスというところの学校の一つを選んで申し込んでおきました。

1990-1993
英語を覚えるというのが勿論渡英の目的でしたが、丁度夏でもあったので海岸でウィンドウサーフィンも楽しもうと企みました。でも就職に関しては実はイギリスに出発する前に、既に内定していました。 だからイギリス行きはそれこそルンルン気分でした(笑)。 内定先は日本のある機械メーカーだったのですが、既にドイツに販売子会社があるので、そこで働いて欲しいとのこと。 それでせっかくの帰国のチャンスが逃げてしまいましたが、学歴がない自分にとっては素晴らしい就職のお話に思えたので、イギリスから帰ったらそこに就職するつもりでいました。

その会社に入社希望の履歴書を添えたお手紙を出した後僅か数日、会社の名前と同じ名前を名乗る人から夜の12時過ぎに電話があり、是非うちに来て欲しいと言われたので、あっ、本社の創業家社長かだれかだだとピンときました。 普通求人情報には資格・条件として大卒となっているので、私がお手紙を出せる会社は大変少なくて僅か4社、手紙を出した先の会社名は自然と頭に入っていました。 その本社社長さん曰く、現地の販売子会社社長から連絡すると言われましたが、その後その通り直ぐに連絡がありました。

まだイギリスに行く前でしたが、就職はイギリス留学の後になることを問題なく了承してくれました。 そしてその現地法人社長さんからはイギリスに滞在している間に、何度も熱いラブレターをいただきました。 勉強の様子を聞かれたり励まされたりの内容でしたが、いつも便箋一枚にびっしりで、しかもワープロではなくて直筆だったので驚かされました。

後で分かったのですが、私の書いた経歴書が本社の社長さんにかなり気に入られたようで、それを受けてのことだったようです。 その証拠にその後しばらくしてその会社のアメリカ支社に1ヶ月もコンピューター研修という名目で出張に出されました。 履歴書には行った学校名や年月日、資格等しか書けませんが、経歴書には今までした仕事の内容を書けるので、今まで豊富にさせてもらった仕事の内容を嘘にはならないように気をつけはしてもずいぶんと脚色して書かせてもらいました。 でもその会社では3年も務めると肩を叩かれたのであっさり辞めることになってしまいました。

入社の当時は例のバブルがどんどん大きくなっている真っ最中、特にこれから海外に展開していこうと思っていた日系企業が、海外経験のある社員を広く求めていました。 私の場合、一応英語とドイツ語ができて、輸出入、売上・利益の集計や販売促進、そして PC のソフトまで会社の業務としてやっていた上、それらを脚色して書いてあるのでずいぶんといい人材に勘違いされたのかも知れません(笑)。 でも暫くしてバブルが弾けてリストラが始まり、現地採用だった私の肩がたたかれることになりました。

元々は本社からの求人で始まった就職のお話でしたが、入社することになった現地法人の社長さんから、現地採用になってくれた方が給料などの条件の面で本社と無関係に私のさじ加減で簡単に決められると言われたので、私も特に異議がありませんでした。 実際にお給料も現地採用の分際で日本から来ている駐在の人達に劣らない金額をいただきました。 それが肩たたきをさらに早めたのかも知れません(笑)。

1993-2002
さて二度目のプー太郎です。 でもそれ程はがっかりしていませんでした。 その頃はまさかこのプー太郎が一年も続くとは思っていなかったので汗。 クビになったことを聞いて、銀行の人がこんな話しをしてくれました。 バブルのはじけたこんな時でも、元気のいいところが年に40社ほども出て来ているんですよ!" それを聞いてピンと来ました。

1994 五月 JCM スタート 本社研修 一年 三ヶ月 Bingen 福士さん デュッセルドルフに移動 現法設立 1999 退職
4U スタート 3ヒット

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